まるで違法建築?個性的な艦橋で知られる戦艦扶桑1/350を作る(その1)

2019年のフジミ福袋で入手した扶桑を今更ですが制作していきます。

エッチングパーツは、フライホーク製のエッチングパーツと一部汎用エッチングを使用します。

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まずは扶桑の説明から

扶桑は1912年呉海軍工廠で建造が開始され、1915年11月8日に竣工された日本海軍初のの超弩級戦艦です。金剛も超弩級戦艦ですが、イギリスのヴィッカース社が建造したため、日本独自で最初に建造された超弩級戦艦は扶桑になります。

扶桑の建造にあたっては呉海軍工廠に新たに大造船船渠が作られ、この船渠は第四船渠と呼ばれ、後に長門、愛宕、蒼龍、最上などの主力艦が次々と建造され、最後の建造艦として大和が建造された船渠でもあります。最初の建造艦が日本の国名の美称である扶桑で、最後の建造艦が大和というのはなにか因縁が感じられますね。
ちなみに超弩級の言葉の由来ですが、イギリス海軍のドレッドノート級を超えるという意味で超弩級(超ド級)になったと言われています。

さて扶桑の竣工当時のスペックはといいますと、常備排水量30998t、全長205.13m、全幅28.6m、速力22.5ノット、主砲には四一式35.6cm連装砲を6基を搭載していました。

当時イギリスでは38.1cm連装砲を4基搭載したクイーン・エリザベス級やリヴェンジ級戦艦の建造が進んでいましたが、それらと比べても見劣りせず、竣工当時としては世界最大最強と言ってもいいでしょう。しかし竣工当時は最強と言ってもうまくいかないのが戦争です。後に建造される長門型や伊勢型戦艦は25ノット程度の速力があるにも関わらず扶桑は22.5ノットしかなかったため戦隊が組めないということもあり文字通り足を引っ張ることになります。また6基ある主砲は斉射すると爆風で艦橋構造物を破損させるだけでなく、船体を歪ませるという有様。それだけでなく主砲塔の天蓋装甲も薄く水平面の防御力にも乏しいということもありました。

そこで1930年から1933年、1934年から1935年の2度に渡って近代化改修が行われました。この際、従来後方を向いていた3番砲塔を艦首方向に指向しましたが、この3番砲塔の旋回半径を確保するため、下部見張り所下の艦橋構造物をえぐり取ったような歪な形の艦橋を生むことになったようです。

また水平面の装甲を強化し排水量も3割り程度増加、速力の改善のため機関の強化も行われたようですが船体真ん中の3番砲塔が邪魔になりボイラーの増設が難しく十分に強化はされなかったようです。速力は24.7ノットまで向上しましたが、実測では21.5ノット程度に留まり、やはり足を引っ張っていたようです。

約4年も改修にかけたにもかかわらず、様々な欠陥を残したまま扶桑は真珠湾攻撃やミッドウェーに参加するものの直接アメリカ軍を交戦することはなく、その後は訓練や輸送任務などの後方支援に従事していました。実戦に復帰したのは1944年の捷一号作戦(レイテ沖海戦)からでしたが、そこでも戦果はあげられず10月25日に扶桑型2番艦山城とともに沈没しました。扶桑はその独特なシルエットから一部の人に人気があり、現在でも違法建築艦として愛されています。

それでは作成していきましょう

扶桑の原寸は約205m、これは1/350なので仕上がり寸法は約60㎝弱になります。

まずは船体からですが2分割の船体を張り合わせ合わせ目を消しておきます。またフルハルですので艦底に穴を開けて、内部にエポキシ接着剤を用いてナットを固定しました。飾り脚にはアドラーズネストのものを使用します。
甲板は船体との合いが悪く一部削り取るなど加工が必要でした。甲板を張り合わせたら側面の舷外電路等をエッチングに置き換えるため削りとっていく予定です。

戦艦扶桑

一旦船体は置いといて煙突、先に後部艦橋を作成しました。フライホークの説明書が非常にわかりにくく苦労します。後部艦橋につく高角砲はフライホーク付属のレジンキットもありますが、レジンが非常に薄く歪みが酷いため、エッチングと金属挽き物砲身だけ使用することにします。が、4基必要なのでまとめて後で作成します。ホーサーリールはエッチングパーツとウェーブのAスプリングを使用し作成しています。

写真上の2枚は煙突、下2枚は後部艦橋です。

扶桑煙突

扶桑煙突

扶桑後部艦橋

扶桑後部艦橋

煙突下部の連装機銃はエッチングを使用しましたが、かなり細かく一つ作成するのに数十分かかりました。3連装機銃と合わせて22基作成する必要があります。先は長いです。

扶桑エッチング

追加で汎用のエッチング類をAmazonで注文中ですが、届くのがもう少し先なので、一旦ここで扶桑は中断して他のキットに取り掛かるつもりです。

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